目的地を決めて散歩と行き止まりを損と捉えるか
こんにちは、utara です。
今日は、目的地を決めずに気ままに散歩することについて話したいと思います。
このテーマは、最近の世の中の風潮や社会の閉塞感をどう受け止めたらよいか? という疑問が浮かんだものの考察です。
例えば、「グーグルマップを検索しないから迷うんでしょ」「そんなことして何が楽しいの?」「時間の無駄じゃない?」「行き止まりになったらどうするの?」というようなものです。
そういう人たちは、失敗をバカにする世界で育ってきたんでしょうね。
目的地がない散歩は、行き止まりになる可能性が高いから、それは失敗だと思っているんでしょう。
でも、それは自分の時間が貴重であるというのは思い込みに過ぎないんですよ。
本当に貴重な時間というのは、楽しいと思うことや時間を忘れることをして過ごす時間なんです。
それがどうでもいい事だと思い出すことが大切なんです。 僕はよく、目的地を決めずに気ままに散歩することをおすすめしています。
それは、自分の感覚や興味に従って歩くことで、新しい発見や出会いがあるからです。
行き止まりになったら、そこから別の道を探すか、引き返すかすればいいだけです。
それが損だと思う人は、自分の人生における目的地や成功の定義を他人や社会から与えられたものに頼っている人なんですよね。 僕はそういう人たちに言いたいです。「自分で考えろよ」と。
自分の人生は自分で決めるものだし、自分の幸せは自分で探すものだからです。
目的地や成功の定義を他人や社会から与えられたものに頼ると、それに合わせて自分を変えてしまうことになります。
それでは本当の自分ではなくなってしまいますよね。
結局は個人の価値観でしかありませんが(笑)、僕は目的地を決めずに気ままに散歩することが好きです。
それは、自分の感覚や興味に従って歩くことで、自分らしさを発見したり表現したりできるからです。
それが他人から見たら無駄だったり失敗だったりするかもしれませんが、僕はそんなこと気にしません。
僕は僕の人生を楽しみたいだけなんです。
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